ひと区切り ・続き

丈二

2009年09月05日 09:41



朝夕涼しい風が吹くとはいえ昼間はまだ暑い9月最初の土曜日。

上の写真は先月の授賞式で戴いた新人賞の記念メダル。
直径5cmほどで銅製。つまり銅メダル。
優秀賞は銀メダルで最高賞が金メダル。
新人賞など三線道を歩む者にとっては唯の通過点なのだが、私には感慨深い記念のメダル。

8月29日の続きを話そう。
2005年頃から盛んになってきた民謡コンクール挑戦。
琉球民謡協会の存在を知り、総会や初弾き会などの行事があることを知ったのもこの時期。
私もコンクール挑戦を勧められたが、仕事の関係で平日の休暇は考えられなかった。
「恋の花」「遊びションガネー」「歌の泉」「芋ぬ時代」「沖縄」「永良部百合の花」「心の故郷」などを習ったのはこの頃だったと思う。

2007年、先生の勧めに従って琉球民謡協会に入会した。
新人賞に合格した5人の仲間達と供に協会の行事に参加するようになり、「海人」にもお稽古が終わる度に寄るようになった。
本クラスの生徒が常に20人以上いて、しかもいい雰囲気でまとまっていたのがこの頃だった。
そして11月、この年最大の行事として「琉球民謡協会東海支部創立10周年公演」が名古屋で行われた。リハーサルと本番で泊りがけの大イベントだった。
琉装、交通費、チケット代など、かなりの出費だった。
私の参加した演目は、幕開けの「歌の泉」「かりゆしぬ踊い」。赤地門下生として「心の故郷」「畑の打豆」「芋の時代」の5曲。(幕開けの2曲は直前にカラクイが折れて、三線が弾けなかった。歌詞も憶えていなかったのでただ立っていた)
女性グループはさらに別の衣装で「沖縄」「娘ジントヨー」を歌った。

そしてこのイベントを境に教室のメンバーが、一人また一人と減っていった。
この頃は「なりやまあやぐ」「愛よ愛よ」「くにぶん木の花」「かぎやで風」「島のブルース」「パラダイスうるま島」などを習った。

2008年春、先生の度重なる勧めもあり私は民謡コンクール挑戦を決断した。
「安波節」は組みし易いとの打算もあった。
しかし舞台に上がり審査員や聴衆を前にしてマイク無しで歌うのは簡単ではなかった。
不合格。このまま引き下がるわけにいかない。
この年は9月にもうひとつ大きなイベントがあった。
2年ぶりに行われた「カルチャー祭」である。
出場者は静岡・島田合わせて13人。前回の半分以下になっていた。
「安里屋ユンタ」「心の故郷」「沖縄」「島人ぬ宝」を演奏した。
「海人」での打上げでは、のび太さんなどお友達も増え、有意義なイベントだった。

私が好きな音楽は沖縄民謡だけではない。
この年ウクレレを購入し、サミー氏と市内の公園で彼の三線とコラボを始めた。
ウクレレと三線で島唄を歌うのだ。
「安里屋ユンタ」「涙そうそう」「芭蕉布」「19の春」「イラヨイ月夜浜」「てぃんさぐぬ花」「島人ぬ宝」など。コンビ名を「テーゲーズ」と名乗ることにした。
教室の忘年会も楽しかった。志願して「なりやまあやぐ」を歌ったり、ウクレレを持ち込んでサミー氏と2~3曲披露したり。赤地先生の三線サポートで歌った「芭蕉布」は感激だった。
もっとウクレレの腕を上げて、サミー氏と舞台に立つのが今の私の夢

そして今年、コンクール新人賞に再挑戦しリベンジを果たした。
ようやく初心者マークが取れた気分だ。
ウクレレに加えて、私の興味は新しい楽器「一五一会」にも及んだ。
コンクールから帰静した翌週、私は会津里花先生の門を叩いた。
会津先生の講義と相まって「一五一会」は面白い。

「ひと区切り」はひとまず終わり。
三線についての最近の心境は、明日に。



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