フォークブーム絶頂期の当時、斬新で洗練されたサウンドで話題をさらい、熱烈な「赤い風船信者」も多かった。
タイトル写真の
LPレコードは彼らのベストアルバムのひとつ。
「恋は風にのって」を初めて聴いた時、それまで持っていたフォークソングの泥臭いイメージを180度変える洒落たサウンドに驚嘆した。この曲は後に一世を風靡するニューミュージックの走りかもしれない。
そして何といっても
「遠い世界に」
リーダーの西岡たかしが奏でるオートハープの音色が印象的な「青春の歌」の代表曲。
「五つの赤い風船」は1972年に解散し、西岡たかしはソロで活動を続けたが、8年前相棒の中川イサトと共に再結成され3枚のアルバム発表、ライブと活動を続けているのは嬉しい限りだ。
青春の歌・ベスト2
吉田拓郎「結婚しようよ」
現在も第一線で活躍するフォークの
カリスマ 吉田拓郎。
ロックの矢沢永吉と並ぶ中年の星である。つい最近も「かぐや姫」とつま恋オールナイトコンサートを敢行したばかり。
我々の世代は彼を「たくろう」を呼ぶ。「よしだ」と呼ぶことは決して無い。
この「結婚しようよ」が入っているLP「人間なんて」は、加藤和彦をプロデューサーに迎え、所謂フォークサウンドを超えた明るく洒落た音作りに成功している。
「結婚しようよ」はシングルカットされ大ヒットした。歌詞は当時の若者達の「時代の気分」をよく表している。
最後の一節、「結婚しようよ 僕の髪は もうすぐ肩まで 伸びるよ」
学園祭の打上げでこの歌を大声で歌った時のことが思い出され、感慨深い・・・。
さて当時肩まで伸びていた髪も今ではすっかり薄くなり(私も大分薄くなったがまだ前髪はある)、年輪を感じる味わい深い佳曲も多い。
この「Long time no see」に収録されている中島みゆきの曲
「永遠の嘘をついてくれ」もたくろう節全開の名曲。
青春の歌・ベスト3は
高田渡「自転車にのって」
高田渡は3年前56歳の若さで逝ってしまった。あらゆるフォークシンガーに影響を与え、親父的存在として慕われていた。
晩年では息子の漣氏(スチールギター)と組んでライブを行っていた。
私は主張する。彼こそは日本の
真のブルースマンだ。
彼の歌、生き方、死に方、これこそ
ブルースだ!真の日本のブルースを歌ったのは彼だけだと思う。
目一杯走り続けた末に、太く短い人生を終えた。(合掌)
画像左は彼が全国的にメジャーになったアルバム「ごあいさつ」。「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」もそのアルバムデザインに使ったアンディーウォーホルのバナナの作品を連想するモダンでとぼけたイラストだ。
シングルカットされた「自転車にのって」(画像右)。右下の価格表示は何と400円。当時ドーナツ盤は400円だった。
車が一人一台の今の時代と違い、当時の庶民の移動手段は徒歩か自転車だった。
歌は自転車に乗って母から頼まれたお使いに行く・・・という子供時代の他愛の無い出来事を当時流行りのサウンドで聞かせる。
B面も好きだった。「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」当時彼が拠点としていた京都の行きつけの喫茶店「イノダ」でのことを歌にしている。私が大学生の時、京都旅行で「イノダ」に立ち寄り、高田渡はどの辺に座ったんだろうと思いを巡らしたこともあった。
左画像は「タカダワタル的ゼロ」より引用
高田渡はライブでよく沖縄にも来ていたのでご存知の方も多いと思うが、彼の代表作
「生活の柄」をかの
大工哲弘先生もレパートリーにしていたことをつい最近まで知らなかった。
3年前「琉球フェスティバルin大阪ドーム」でトリで登場した彼が「生活の柄」を歌いだしたときは吃驚仰天した。高田渡の曲をなぜ彼が?
調べて見ると作詞は沖縄の詩人山之口漠。これが接点か・・・。早速CD「ジンターナショナル」を購入した。
大工哲弘は八重山民謡の第一人者に留まらず、あらゆるジャンルの音楽、ミュージシャンと交流し、作品として発表してきた。
大工先生、私の最も尊敬する唄者である。
徒然なるままにちょっと脱線してしまった。「マイベスト3」また次回!